今回お届けする4月の絵手紙の題材は金柑。
春に実が成るのを見かけますが、お正月のおせち料理でもおなじみですね♪
絵手紙の言葉:4月 金柑
「読み書き」の手伝い どうして気が付かなかったのか お母ちゃん ゴメンネ
4月の絵手紙 金柑『読み書きできて当たり前?!』
昔の絵手紙教室のお仲間の家に遊びに行った幸子はん。お庭の木にたわわに実ったキンカンを一枝いただいてきたそうな。そして絵手紙をかきました。
きんかん皮食ぅて 実ぃやろか~♪
きんかんの歌!?
私が小さい頃から幸子はんが時々口ずさんでいた、歌ともいえない歌。
この鼻歌で、きんかんって実より皮の方が甘いと初めて知りました。
で、実際食べたら、そうやった~!
皮は甘くて美味しいんよ♪
実は酸っぱかったです。
さて、うちの幸子はんは本が大好き!
学ぶ姿勢は83歳の今も変わらない。
本を通して色んな経験が出来るし、世界が広がることに喜びを感じておりまする。
幸子はんの母である、私のおばあちゃんは、気は強いけどメッチャ涙もろくて、情に厚~いお世話好きのお人。
ご近所さんのまとめ役をしていたそうな。
チャキチャキハキハキおばあちゃん♪
もともとコミュ力は高かっただろうし、読み書きができなくても特に不自由はなかったかもしれない。
でも、おばあちゃんを思う時、
「読み書きできていたらお母ちゃんの世界ももっと広がっていただろうに…どうして気づいてあげられなかったのか」
と、何とも切なく申し訳ない気持ちで、幸子はんの心はキュッとなるのだ。
明治37年(1904年)生まれのおばあちゃん。生きてりゃ120歳。
7歳で母親を亡くして家の手伝いをするため、学校には行けなかったのだ。
たった7つの女の子が母親を亡くし、どんなにどんなに辛かっただろう。
想像するだけで耐えられない…というよりも簡単に想像なんてできない。
そうやね。
読み書きできたほうが何百倍も何千倍も便利やし、見える世界が全く違っていたと思う。
でもね、あの頃は幸子はんも子育てしながらフルタイムで働く昭和のワーママ。
自分の生活で精一杯やったもん。おばあちゃんを気遣う余裕がそこまでなくても、しゃーないよ…ね。
それに庶民…特に女性は読み書きができなくても、それが普通だったおばあちゃんの時代。
おばあちゃん自身が、読み書きできることを本当に望んだかどうかはわからない。
だけど今思うのだ。
あーた、この時代に想像できる?
読み書きできない私たちの生活って、、、どんなん?!
本やマンガの面白さ!
文字に想いをのせて伝い合える素晴らしさ!
欲しいままに手に入る情報とその便利さ!
これが全然ない世界って考えられる?!
私達は義務教育を受けて、今や読み書きできるのは当たり前のこと。こんなにスゴイことなのに、当たり前過ぎて見えなくなっている。
読み書きができるとできないとじゃ、もう人生は全く別の人のものとなって、ガラリと変わるよね!
そう考えながらこうやって文章を打っていると、なんだか不思議な感覚にとらわれる。
コレ、書いてることって何か意味あるんかな?
ないよね?
えっ!全然、全く、1ミリも意味ないんかな…。
けど、全く意味がないっちゅうのも、ちょっと違うよね?
うーーん、やっぱり意味があると思いたい。
ワタシハ、何ヲ書イテイルノ?
それでも私達は書いたり読んだりせずにはいられない。。。
幸子はんに話を戻そう。
読書大好き!幸子はん。
寝る前の読書は最高の眠り薬♪
電気が明々と点く中、ベッドで本を広げたまま気持ちよさそうに寝ている幸子はん♪
私がそっと電気を消そうとすると、急に起きて「あかん!消さんといて。まだもうちょっと読むねん!」と抵抗する。
「どうせ3行も読まへんうちにまた寝落ちするんやから、はよ寝たらええのに」と言うと、「いや、まら読むぅ~」と、ロレツが回らず寝ぼけ口調でがんばる幸子はん(笑笑
せやね。読書は幸子はんの想像力を掻き立て、寝ながらにして(?!)様々な体験ができる未知なる世界の扉を開けてくれるもんね!
はい、これからも私がときどき来ては、そっと消灯させていただきます♪
あ、メガネも外そうね。
ほな、おやすみ~~~(-_-)zzz
コメント